BLOGブログ

デヴィッド・ボウイが去って思うこと。

no image

デヴィッド・ボウイが死んだ。

音楽ファンにとっては年初からとんでもなくつらいニュースだったと思う。僕は彼の音楽に心酔したことは無いけれど(アルバムは数枚もってたかな)、グラムロックなんかのいろんな音楽に影響を与えていたことを考えると、リスナーである僕も少なからず彼の音楽の恩恵を受けていたことになるんだろう。

音楽家であれ、俳優であれ、誰もが知っている著名人が亡くなるのはさびしい。それは、ひとつの時代が終わったような気がするからだ。毎年毎年、誰かが亡くなるたびにこんなことを思うのだけれど、それでも昔に比べると少なくなってきているのかもしれない。

今、僕が好きなミュージシャンで、「誰もが知っている」と思える著名人はどれくらいの数になっているんだろう。パッと思い浮かぶ著名人はみんな結構いい年齢だ。一番若くても90年代に活躍したUKロックの連中か。それ以降は…。同年代や年下になると…。

マスメディアの影響力が落ちたと言われて久しいけれど、この「みんなが知っている」という著名人が少しずつ減ってきているような気がする。今後10年の間に、そういう立ち位置の著名人はさらに少なくなると同時に、希少価値が上がっていくだろう。学生時代から「みんなが知っている」ミュージシャンに憧れていた僕としては、これからの音楽業界は少し物足りなくなってしまうかもしれない。

一方で、最近増えているのが「みんなは知らないけど、僕は知っている」ミュージシャンだ。もちろん、情報の入手先のほとんどがインターネット。僕だけに限らず、世界の人々の趣味趣向の細分化はますます進んでいて、今後「みんなは知らないけど、僕は知っている」ミュージシャンがたくさん出てくるだろう。メディア業界の端っこの端っこにいる我々(word inc.)であっても、この変化は気に留めておかなければいけないと思う。

昨日の深夜にお気に入りのプレゼンサイト「TED」を見ていた。そこでも「みんなは知らないけど、僕は知っている」ミュージシャンを見つけた。みんなとは共感はできないけど、こんなに素晴らしいミュージシャンを自分だけが知っている(少なくとも僕の周りは)と思える状況は、意外と悪く無いような気がしている。これは本当に重要な変化だと思う。